double standard

平成仮面ライダーへの思い入れを語ります。現在は更新停滞中。

むかし語り

録画していた今週の『ウィザード』やっと見たです。面白いですよねえ『ウィザード』。安心して見れますわ。安心して見られる平成ライダーなんて初めてではないでしょーか!(笑)
というのがわたしの基本的な平成ライダー観です(おい)。
いろんなことを語る前に、やっぱりもう少し思い出話をさせていただきたいと思います。

・・・というわけで『電王』にのめりこむことになったわたしでしたが、一方でずっと戸惑っていました。
なにがって、『電王』はとにかくおもしろいのですが、おもしろさの核が一向に掴めなかったからです。

わたし、もともと本ばっかり読んでいて、しかも理屈っぽいので(この文章で丸分かりですね)、なんでも気になったものは分析してしまう癖があるのです。
で、『電王』も分析しようとしたのです。たとえば、キャラクターが魅力的だとか、脚本がすばらしいとか。『電王』のおもしろさの主導権はどこが握っているのか、が知りたかったわけです。アニメや演劇はけっこう見ていて、その伝で考えると、総監督か脚本か、になりそうでした。
(ところでちなみにわたしはこのときまで映像作品というのが苦手なのでした。まあこれもおいおい語ります)
ところが、です。脚本は確かにすばらしいんだけど、だから『電王』がおもしろいのだって言い切るには、ほかに頼っている要素が多い。佐藤健くんの演技はすばらしいしキャラクターの掛け合いもおもしろいけど、それが『電王』の要って言っちゃうといろいろ取りこぼしになる。
しかもだ。クレジットをよく見ると、シリーズ構成も総監督もいないじゃないか!

別にね、正しい解答が欲しいわけではないんです。そんなものがあるとして。ただ、わたしの中で納得できる解釈がないと、いつまでたっても座りが悪くて落ち着かないんです(理屈屋の悪癖)。そのときのわたしが持っている物差や尺度では、理解することができなかったのです。
全然わからない。いくら考えてもわからない。見たことのないおもしろさ。それわたしにとっての『電王』でした。

『電王』を理解したい。そしてまた、『電王』みたいなものをほかにも見たい。そんなことを考えるうち、どうやらプロデューサーが大きく絡んでくるらしいとわたしは見当をつけることになりました。
そして脚本。とにかく、ここら辺をおさえてみて考えてみよう、そう方向付けました。
それで、手を伸ばしてしまったわけですよ。
同スタッフ製作の同シリーズ――そう『龍騎』に!
そして『電王』にたいする好奇心はそのまま平成ライダーという看板に対する好奇心に膨らんでいったのです。
好奇心は猫を殺すといいますねえ…


さて、ちなみに、『電王』のおもしろさの核がどこか、結局わたしは掴めたのかどうかですけれど。
あくまで、あくまで自分が納得するための論理ですよと前置きした上で言いますと。
現場のうねり、かな、と今は解釈しています。
答えとは一つであると、昔のわたしは信じ込んでいたんですね…