魂の求めるもの
前回に引き続き馴れ初めの話。長々とすみません、これでとりあえず終わりです。
「変なおもしろさ」を求めて『電王』から『龍騎』に手を出したところまでお話しました。
思い返して見れば、『電王』にダダはまっていただけのあのころは平和だった…四六時中『電王』が頭から離れなかったけど。
なぜなら、ここまでは普通の娯楽の範疇だったから。
それが魂の深いところにがっちり噛み合って、ブログまで作る羽目になってしまった。それはなぜかというと…
まあありていに言って『龍騎』がわたしに突き刺さってしまったからなんですが。
もうね、なにがなんだかわからなかった。見終わった後。
すごくね…共鳴してしまったんです。あの話に。あの主人公に。あの結末に。
いっぱいサブカル批評とかウェブ上での討論とかありますが、まあおおむねわたしもその俎上にいるようなもので、つまり正義と悪についての真っ向議論を子ども番組に見てしまった。
そしてそれは、わたしがずっと考えていたものと共鳴するものだった。
『龍騎』が単独の作品だったなら、たぶん心に深く傷を負わせられたまま、『龍騎』のことだけ考えて終わっていたはずなんです。
ところがそうではなかったのですよね。
『龍騎』も、『電王』も、同じシリーズのうちのひとつだった。
同じ土台で、違う作品がいくつも作られていた……似て、非なるものたちの群れ。
だから、確かめねば、と思ったのです。ここで何が起こっているのか。
同一プロデューサーの手がけた『アギト』『555』、よく比較される『クウガ』。まったく違う手触りと聞く『剣』。もうそこまできたら全部確認してやろうと気合を入れたところに『DCD』製作の報。
こうしてわたしは平成ライダーにのめりこんでしまったのでした。
……「途中で飽きなかったのか?」って?
だってどれもこれも変なんだもん!
いやだってこのシリーズ、子ども番組だからこそのよくわからない進化(あるいは迷走)を遂げるもんだから、ああもうとにかく見ていくしかねーじゃんよ。
わたしの心を突き刺した作品を生み出した土壌がさらになにを生み出すか。
一度惚れてしまったら地獄の底までついていく……かどうかはさておき、今のところわたしにははがしたくてもはがせない存在なのであります。平成ライダー。