double standard

平成仮面ライダーへの思い入れを語ります。現在は更新停滞中。

『龍騎』の思い出 とわずがたり

そういえば東映特撮youtubeの『仮面ライダー龍騎』、配信が終わったんでした。

思い出すなあ…わたしは、もうとにかく最後の二話が言葉にならないくらい悲しかったんでした。テレビ番組を見て――いや、なにか作品を見て、あれほど取り乱したのははじめてといっていいくらいでした。吐くほど泣いたな。泣いたのは悲しいからじゃなくて、泣く以外のことが出来なかったからでした。
真司の、蓮の、北岡の、浅倉の。そして神崎の、優衣ちゃんの、おばさんの。あの「どうしようもなさ」に対して、人は泣くことでしか処理が追いつかないのだと思います。

ちょっと思い出を語ってみようかな。ネタバレですので、たたみます。

龍騎』をはじめて見たとき、ちょうどわたしは自分を失っているところだったのでした。
自分語りになっちゃいますので具体的な話は避けますが。コンパクトに言うと、それまで信じてきたことがまったく意味のなかったことだと知ってわたしは過去と未来をいっぺんに失ってしまったのでした。
「いいひと」になりたかったのでした、わたしは。それが出来ると思っていたし、出来たとも思っていた。でも自分のエゴが剥き出しになった瞬間にそんな願望は砕け散っていったわけです。
報われないことにも苛立っていた。努力は報われなければならないと信じていた。でも他人から見ればそんなことは単なる一人相撲でしかない…


そんなときに見たのが『龍騎』でした。13人の登場人物が自分の願いのために戦って死ぬ物語。そしてその主人公である城戸真司は、ただひとり「正しさ」を通すために身を削っていく……


真司がなにも掴めずに死んでいくのが辛くて仕方がなかった。北岡が真司を評価していたって、真司はそれを知らずに死んでいく。
蓮は願いを叶えたけれども、もうその願いだけでは満足しきれなくなっている。本当は、真司も優衣ちゃんも助けたかったから。結局、蓮も悲しい。
ふっつりと倒れる北岡も、その意志を継ごうとして散っていく吾郎ちゃんも、せつない。
あの浅倉でさえも。なぜわたしは泣いてしまったのだろう…それは結局、彼も生きていたのは間違いなかったから。
……みんな悲しかった。どうしようもなく戦いを選び、だからどうしようもなく滅びるしかなかった彼らが。


龍騎』というか城戸真司の良かったところは、彼が勝たなかったことだと思っています。なぜなら、彼が口にするのは理想論であり正論でありきれいごとだから。誰よりも正しいのです、彼は。その彼が力で勝ってしまったら、それは結局暴力の勝利にしかならない。
正義には勝って欲しかったと『龍騎』の感想ではよく耳にします。でも、勝ってしまっていたら、「勝つ「から」正義なんだ」となりかねない。それでは結局、真司がやろうとしていたこととは逆のことになってしまいます。
では死んで良かったのかと問われると、そんなことはない。決して、そんなことはないのです。ただ「勝たなければ正義はダメなのか」とわたしは言いたい。報われるからあなたは善を行なうのか?

報われなくても、かなわなくても、それでも正しいと思うことをつらぬく。それが「行い」の本質なのではないでしょうか。わたしのように、報われなかったからといって自分を見失うよりは。
「正義は勝たなくても美しい」。それがわたしが『龍騎』を見て得た結論です。



最近『龍騎』を見て、なんとか昇華したいと思ってここにたどり着いた方に。関連本だと以下がオススメです。
amazon.co.jp 仮面ライダー龍騎 ファンタスティックコレクション
amazon.co.jp 仮面ライダー龍騎 超全集
どちらも新品ではもうありませんが、amazonでは中古も扱っているので。古本屋でもけっこう見るので手に入れやすいと思います。

あとコレの中の『龍騎』論がわたしは好きなのですが、それだけのために買うにはお高いので、まあ機会があれば。
ユリイカ2012年9月臨時増刊号 総特集=平成仮面ライダー
コレに関するわたしの感想は こちら