double standard

平成仮面ライダーへの思い入れを語ります。現在は更新停滞中。

スタジオジブリ『風たちぬ』

何百と感想がネットにあがっていることと思います。そんなところへ、今更一本追加してどーすんだというところでありますが、ちょっと支持を表明しておこうかと。少なそうだから(笑)。

なにかを作ったり、探求したりしている人、あるいはしたことのある人、そしてそれに専念したいと思ったことのある人は共感するんじゃないかな。
そんでもって、そうじゃない、いわゆる実際的な人はムカつく(笑)んじゃないかな。


生み出したい、という想い

ていうか、コレ、芸術家映画だよね。ゴッホとかゴーギャンとかとおんなじ部類。
美を追い求める話。
作ってるものが飛行機という社会性のあるものだから、もろもろ摩擦が見えるだけで、本質的にはそういうことだと思います。
戦争に加担しているという葛藤の描写が少ない、と本作への評でよく耳にするんですけど、葛藤よりも夢を見る姿を描きたかったからああいう比率になったんじゃないのかな。もちろん、他の時代でももしくはファンタジー世界にしても出来た話をこの設定でやる、ということには当然意味は強くあるでしょう。そこは理解した上で。
それに、あれはあれで二郎は苦悩していると思うし。ただ、飛行機(夢)>>>>>社会情勢(現実)なもんだからさあ。あれがやつの精一杯。

実際、なにかを作ったりあるいは探求したい・しようとするときはどんな時代であれ社会との摩擦は生じますもの。たとえそれが60年ほど戦争とは無縁の社会であったとしても。

出来上がったものはともかく、作ることや探求という「行為」はある意味で「純粋」であり社会性のない行いであり、それこそ「美しい夢」。というか、「行為」を許してもらうために意味づけを積極的にしていかなければならなくて、人はいろいろ理屈を捏ね回すのです。
…まあ、やっぱり意味があった方がやりがいが出るってこともありますけど。

二郎はこの「意味づけ」が下手な人なんだろうな。


個人的思い入れの理由

そんでもって、わたしはこの映画を見ていて何度も泣きそうになってしまったのですよ。
なぜならわたしもまた、「行為」を追い求めようとしたことがあるから。

自分の話になっちゃって恐縮ですが、大学に夢を抱いて入学し、まあ自分に資質がないと道を変えまして。
そんなだからかな。「純粋」であれなかったゆえ、「純粋」な二郎や同僚たちを見ていると万感胸にせまるのですよ。
憧れの感情もあるんだろうな。

夢中になって図面を引く姿や、ドイツに留学して新技術に感動するとともに意欲をかきたてられついには夜の冬の街へ飛び出してしまう姿。あるいは、墜落した機体を雨の中みつめる姿。討論会の熱気。
またあるいは、冒頭、震災による火事で、本を図書館から避難させようとする試み。
そういう姿を美しいと思ってしまうし、他人事に思えなくて、そして一度は味わったことのあるあの切実さ、喜び、悔しさ、意欲、熱意、自負、無念、といった気持ちたちを突きつけられると泣きそうになってしまうのです。


でも、ムカつくよね

とはいえ、ムカつく人の気持ちもわかるんだよなあ(笑)。
「純粋」や「美しさ」というのは結局夢の中で生きているようなものなわけで。その気持ちが理解できねーししたくねーしという人にとってみれば、まあそりゃムカつく映画だよね、と(笑)。
オマエ一人だけずっとふわふわしてんじゃねーぞ、と。
まあ、だから、ムカつかれとけ、と支持はしても擁護をする気はないのです(笑)。

ただ、ムカつくからダメな映画だ、とは思わない。ムカつくけど、それはちゃんとそうなるようになっているから。
やりたいことがとてもハッキリしていて、それを表現しきっている。
個人的な思い入れはさておき、近年のジブリ作品の中ではわたしはこれが一番良いと考えています。


だけども、芸術家が芸術作る話だと逆に共感しないんだろうなあ。
社会有用性のものに美を求めてしまうと言うのが共感するところかな。わたしも無用の人間だなあ。

しかし上映後、泣きそうになってるわたしを見て隣のカップルはさてはわたしがあの夫婦の行く末に涙したと思ったろーな。


彼女はなぜそれを許したか

あ、あと最後に。なんか話題になってる例の喫煙シーンについて。
いや別にその辺論じるつもりはなくて、あの場面の解釈なんですけど、アレわたし「けなげ」とは思わないなー。アレは菜穂子さんのエゴだよ。
っていうか、二郎がエゴイスイトなら菜穂子さんもエゴイストだよ。一人で山を降りて一人で山を登る人ですぜ。「キレイなところだけ好きな人に見て欲しい」っていうのは、二郎のためというより菜穂子さん自身のための行いですもん。「そうしたい」ことをする人だよね、菜穂子さんも。
似たもの夫婦だと思うぜ、あの二人。