double standard

平成仮面ライダーへの思い入れを語ります。現在は更新停滞中。

なぜ『仮面ライダードライブ』は表面的に感じてしまうのか 〜『仮面ライダードライブ』に足りなかったもの

ちゅうわけで、夏映画『SURPRISE FUTURE』を見ていてようやく閃きました「なぜ『仮面ライダードライブ』は表面的に感じてしまうのか」。
仮面ライダードライブ』という作品は、設定周りも各話も、かなりしっかり作りこんであり、ぱっと見ても立派に見えます。
しかし、内容を見ていると、なぜか置いて行かれることが多い。
そこで起きている事件はわかる。そこで湧き上がっている感情は理解できる。
でも、その事件が起きたりそういう感情が出てくることで、視聴者に何を伝えたいのかはさっぱり見えてこない

モノがしっかりしているだけに、この焦点が定まらない感じに、わたしはヒジョーにもやもやを抱えていたのです。
でも、ようやくそれが何に起因するのかがわかった!わかったのですよみなさん!!!

仮面ライダードライブ』には前フリが一切ないんだ!

俺に前フリはない。

前フリっつーのは、まあ伏線と似たようなもんなのですが、ここで言いたいのは、「前置き」と同義のことです。
つまり、今回はこういうテーマで行くよ、っていう共有すべき前提のことです。

みなさんも、人に何かを説明するときに、いきなり出来事や答えから話して、「なんのことですか?」と聞き返されたことはありませんか?
自分が話したいことを、相手も了解しているとは限らない。もしくは、それについてだと気づかないと会話がかみ合わない。
そのために前フリ、前置きが必要になるわけです。

たとえば。
夏映画で言えば、冒頭ちらっとベルトさんのサプライズプレゼントの話が出てきましたね。あれが中盤、終盤といい仕事をするのは見た人は覚えていると思いますが、さて、あれ、そんな重要なものだと思いましたか?思わないまでも、後になってこの話が出た時、「ああ、アレ!」みたいな強い印象を受けましたか?
わたしは思わなかったし、印象も受けませんでした。
後から思い返して、そういえばなんかあったなーアレかい、みたいな感じでした。

夏映画の主テーマを絆の話としていくなら、たとえば冒頭の話がでたときに、「まったく相変わらずベルトさんは秘密主義だぜ。はじめてあった時から変わらない」「君はクールな顔をして暴走するから、内緒にしておくんだ」「なにをぅ」みたいな、ちょっとしたじゃれ合いでも入れておけば、ラストバトルのベルトさん復活のときのあの泣き笑いが生きてくるし、ベルトさんのサプライズプレゼントの真意が明かされたときに観客も「あの冬のー!」みたいな感動を味わえたはず。
もしくは、未来と現在の話とするなら、そういう対比の何かを冒頭に挿入しておく。

そういった前フリ、「今回はこの話やるから、注意しておいてね!」みたいなのが『ドライブ』にはない。だから、なにをしているのかこっちに伝わってこないのです。

テレビ本編もそう。事件が起こるけど、その事件がどういう意味を持っているかの話はせずに、ただ印象的な場面だけ出してくるから、深く心に残らない。

なお、前フリは、なにも冒頭だけに入れ込むものではありません。話が少し進んだ後に入れることもあります。でも、『ドライブ』にはそれもない。
また、前フリは台詞だけで伝えるものでもありません。あとあと思い返すとわかるような場面や、印象的な小物を大写しにしたり。
けど、『ドライブ』は画づくりにはこだわっているのに、そういう繊細さがないのです。


懐かしのモモタロスくんなんかのキメ台詞は「俺に前フリはねえ!」でしたが、それは彼がやりたいことが”とにかく戦うこと”で特に内容がないから成立するわけです。そしてまた、だからスカッともする。*1
反対に、内容がある場合はちゃんと前フリをしておかないと、なんでそんなことになったのかわからず、モヤモヤする羽目になるのです。


しかしちょっと面白い現象ではあります。普通、前フリがないと、最初からモヤモヤしちゃってそもそも見ようとすら思わなくなりますから。出来が悪い、ともハッキリ言われちゃいます。
でも、『ドライブ』は見れるんですよねー。
たぶん、ほんの一言、ほんの一場面あればガラリと変わるんだと思います。それがなくても進行できるくらいに詰めてあるわけだから。
あと画は毎回すごい作りこんでいるからかな。映像のすごいところは、とにかくそれだけあれば成立してしまうところです。
でも、だから、なおさらもったいないな。


てなわけでそういうわけで、なぜ『仮面ライダードライブ』に集中できないのか?がようやくわかりました。
とはいえ、脳内で勝手に補完するには要素が大きすぎるので、見方が変わるかっていると、そうはならないかなあ。
でも、「なんとなくモヤモヤする」から「このせいでモヤモヤする」というのはハッキリしたおかげで、わたしは『ドライブ』を受け止めることが出来ると思います。

実は、ずーっと、核が定まっていないからかな?と考えていたのです、この「なにをしているのかはわかるけど、なにをしたいのかわからない」という状況。
いろいろと何かやりたいことがあって、でも、それをどうしたいか決まっていないから、とっちらかっているのかな、と。
でも、夏映画にはハッキリとやりたいことがあるのがわかった。なので、それがどうしてこうも伝わってこないのか、ということを考えることが出来たのです。

気づかせてくれてありがとう夏映画!柴崎監督!たぶん柴崎監督の輪郭がはっきりするまで粘る演出のおかげだと思うよ!

*1:しかし良太郎がちゃんと走り回るおかげで、内容がないはずのモモタロスの大暴れに意味が付与されて、視聴者は大興奮できるようになっているのです。