double standard

平成仮面ライダーへの思い入れを語ります。現在は更新停滞中。

仮面ライダー1号

なんとか滑り込んで見てきました!もらった名刺はアカリちゃんです(行った時期がわかりやすい)。
一言でまとめるなら、「ド迫力」なんですけど、その一言にはいろいろな意味が込められております。というわけでそんな感想です。

最初にお断りしますが、わたしは仮面ライダーは平成しか知りません。もちろん、昭和作品には敬意を払っておりますが、何分、同時代ではないため、感覚に少しズレはあるかと思います。
そんなわけで、以下の感想は、もしかしたら、昭和――特に初代仮面ライダーに対し思い入れの強い方に、イラッとさせる点があるかもしれません。
ただ、なぜそうなっているかというと、茶々を入れたいというわけではなく、これがわたしの本気の感想だからです。無難な言葉でごまかすのでは、この映画に太刀打ちできないから。

以上ご了承のうえ、よろしくお願いいたします。

この作品の大枠

あらすじは本当に簡単にまとめるとこんな感じ。

初代の仮面ライダー本郷猛。現行の仮面ライダーゴースト天空寺タケル。
一人の少女と一つの謎のアイコンを介して邂逅した二人は、新組織ノヴァショッカーのたくらみに直面する。

命とはなにか?戦うとはどういうことなのか?

新旧二人の仮面ライダーに焦点を絞り、初代と現行、それぞれの変身を描く!

そして――45年の時を経て、本郷猛がたどりついた物語とは?

春映画の『平成VS昭和』から――いや、『ディケイド』本編から続けて、ついにここまで来ました。
仮面ライダー1号』。つまりそれは、リメイクなのか?いや違う。では、懐古趣味なのか?いや、それもまた違う。
この映画は、平成と昭和のぶつかり合い。けれどそれは戦いなんてものではなくて、ずっと分断されていたものが、いくつもの作品を通してお互い接近し、ついに本気で組み合えたということなのではないでしょうか。
たぶんこれが、ついにたどりついた、仮面ライダーシリーズの答えのひとつなんだと思う。

脚本と役者のせめぎ合い

始まってしばらくの感想は「としきー!この味久しぶり!」でした。なんだろうファンなのかもしれない。癖になるんだよね、あの味。

新しい組織ノヴァショッカーは経済を支配して世界征服を企むし、古巣であるショッカーとは対立することで、仮面ライダー・ノヴァショッカー・ショッカーの三つ巴。
そして本郷猛の心のカギを握るのは、亡き恩人が残した一人の少女。そしてまたこの少女が、上記三つの組織から狙われる物語のカギも握ります。

てなわけでお膳立てが敏樹!台詞の一言一言も敏樹!
てなもんでニヤニヤ笑いながら見ていたのですが、だんだんそれが真顔に変わりました。
というのは、本郷猛=藤岡弘、の存在感の強さです。

周知のごとく敏樹御大の脚本は、愚直さをからかいます。たとえば、「命は大切なんだ!」って力説する人物がいたとして、でも周囲はそれをクスクス笑うだけ、とかね。

これは敏樹氏らしい照れ隠しというか美学というか、そら現代でド正論を聞かされたら普通は戸惑うよね、という現実(リアル)を描きつつ、けど、そんなド正論を信じて笑われても語るヤツはカッコイイという、つまりは話の内容ではなく、周囲に何を言われても信念を持つ男は泥臭くイイ男。という描写なんですけど。
けど、この映画では、その愚直を演じるのは藤岡弘、さん。話の内容を本気で語ります。語っちゃいます。

ここで、わたしは妙な迫力を画面から感じました。なんだろう、なにかがせめぎあっている…

平成の美学VS昭和の美学

その迫力は、話が進むごとにドンドン大きくなっていきました。

愚直な男は最後に自分のため(というか、愛する少女のため)に生きて死のうとし、実際死ぬのですが、使命のために蘇る。それは、一方で喜劇であり、もう一方では悲劇である――死に場所を自分では選べないのだから。
まさしく井上敏樹的なドラマであり、また、ヒーローという存在の切なさ、愛おしさを描くこれ以上ない脚本です。
ですが。
そんな喜劇と悲劇を、藤岡弘、さんはぶちやぶろうとする。それは、彼が初代の仮面ライダーだから。愛と正義をこれ以上なく体現しているから。ヒーローはなによりもみんなのために存在するべきだという信念があるから。

儚く美しい構造を持つ脚本を、なんと、熱さでもって演じて押し切ってしまうのです。

男の美学VS男の美学!暑い!暑苦しすぎるぞこの映画!!!

すなわち、こういうことです。

井上敏樹的ダンディズム――男はやせ我慢して、ちょっと笑って人知れず死ぬくらいがカッコイイ=平成のめんどくささ
VS
藤岡弘、的ヒロイズム――ヒーローは愛と正義を燃やして世界を包み込む=昭和のめんどくささ

そしてこの暑苦しいせめぎ合いを、肉体の強さでもって画を作る金田監督が演出する!

本郷がよみがえるフェニックスの場面はヤバかったですね。あまりの迫力に茫然としました。
あそこ、脚本では悲劇なんですけど、役者が今まで作ってきた流れ的には喜劇*1になってるし、画面はただひたすら迫力のある炎の不死鳥を作り上げてるし、もう「エライことになってるな!」しか感想が出てきませんでした。
いやあ、久しぶりにワケのわからんものを見た。満足はしています。こういうのを見たくて仮面ライダー見ているからね…

しかし、じゃあこれが珍品で終るかというとそうでもなく、脚本と役者はせめぎ合いつつ最後に合流し、ついに昭和と平成の仮面ライダーが融合し一つの物語を完成させるのです。
これは正直、仮面ライダー史上の大きなポイントですよ!テストに出ると思う(なんのだ)。

ヒーローが命であるということ

この物語が最後に融合したのは、本郷猛がよみがえったから――だけではなくて、老いを受け入れていたからだと思う。ここのところを、藤岡弘、さんははねのけなかった。たぶん、ご本人が同じ年月を本物のヒーローとして過ごしていたからだと思う。

ヒーローも年を取る。そしてたぶん、いつかは死ぬ。今がその時ではないとしても、確実にいつか。
敵である地獄大使の変身が解けて白髪が白日の下にさらされる光景は、残酷ではありましたが、本郷猛の笑顔はそれすら包み込むのです。

それを役者が否定しなかったからこそ、この映画は真に完成した。脚本の意図と役者の意図が最後に合致した。そして、つまりそれは、平成と昭和の合意が成立したということ。

平成は、自分たちの以前には歴史が存在することを、そして願いが自分に受け継がれていることを受け止めた。
昭和は、自分たちが歴史となってしまったことを、しかし信念や願いは未来に引き継がれていくことを受け入れた。
お互いを異分子のように戸惑い、困惑しぶつかりあっていた両者は、いま、ここでお互いが「仮面ライダー」であるということを共通認識として手に入れた。

たとえ死ぬとしても、心は残って生き続けるし、ヒーロー自身も受け入れたからにはそれに殉じるのだろう…

さて、この映画では、冒頭、1号がゴーストに宿題を課しました。命とはなんだ?
その答えを、最後でゴーストは、「つながっている」と見出しました。
それは、素直に受け取っても、素晴らしい正しい答えです。
でも、それだけでしょうか?
「つながっている」のは、仮面ライダーたちそのものではないでしょうか?そしてそのスタートは……本郷猛。
そう、この映画は、すべてが一つであったことを思い出すお話でもあったのです。

はみ出し膨張するのが平成ライダー

脚本的に、すごくキレイに新旧の交流と、旧世代の現代への向き合い方を描いていました。もうそれだけで『仮面ライダー1号』として成功です。
けど、上記のごとく、役者の熱量により、そんなキレイにまとまらず、ものすごいせめぎ合いが生じ、結果として、より大きな説得力を持つにいたった。
というのが、わたしの、この映画の総括です。
いやー、久しぶりにワケのわからないものを見た。はみ出し膨張していくこのパワーこそ、平成ライダーだなと思います。
映画館で見れて良かったよ!


長くなったので、部分部分の感想はまた別にわけます。こちら

*1:ここで言う喜劇はコメディではなく、ハッピー、正の感情です。念のため