double standard

平成仮面ライダーへの思い入れを語ります。現在は更新停滞中。

小説 仮面ライダー鎧武


著者:砂阿久 雁/鋼屋 ジン(監修:虚淵 玄)
出版社: 講談社 (2016/3/24)
ISBN-10: 4063148750
ISBN-13: 978-4063148756

ガッイッムーオ〜♪
とりあえず新作が出ると心の中で主題歌が聞こえてきます。
Vシネ1、2と続き、お待ちしておりました『鎧武』の小説版です。文字媒体は脚本を担当した虚淵玄さんの主戦場だと把握しているので楽しみにしていました。でも、執筆者は同じチームの別の方なんですね。ちょっと残念。
でもなんとなく虚淵さんは監修に回っている方が安心感があるのはなんでだろう…

Vシネ2で示されたカルト教団「黒の菩提樹」との決着が、この小説で一応つくようになっています。
連続性があるのはおもしろいなー。これでひと段落かな?もっと見たいけど、どこかで区切りはつけないとね。

あらすじ

すべては終結したとはいえ、ユグドラシル社の(というか凌馬の)作り出したテクノロジーはいまだ闇に流出し使用されていた。
そのいわば残党狩りを続ける貴虎は、とある事件で奇妙なロックシードと人物の影に出会う。
それはかつて貴虎が、凌馬とともに廃棄したザクロロックシードとそれを生み出した狗道という男…
しかし狗道は死んだはずでは!?

そのころ沢芽市では、沈静化したビートライダーズの抗争を上塗りするかのように、ストリートギャングの悪行が目に付くようになっていた。
その彼らの手にもザクロロックシードが。

ヘルヘイムの脅威が去った沢芽市で、いま何が起こっているのか?
貴虎は、ミッチは、ザックは、この異変を食い止めることが出来るのか?

面白い「小説」

お話としては、わりとアッサリとした流れ。再び姿を現した狗道供界とザクロロックシード。その意思を、沢芽市に残されたビートライダーズは阻止できるのか。
けど、とっても小説で、読んでいくのがすごく楽しかったです。なんせ、とりあえずの感想は「おお、小説だ」でしたからね。そこなのか。

シベリア横断道路の描写から本編が始まったのを読んで、この感覚はこのシリーズではほぼ初めてだなーと。
こういうのはチーム制作の有利なところですね。得意な人に得意なジャンルを割り振れる。

ところどころで差し挟まれる見栄を切るような表現も、このカッコよさは小説ならでは。でも、貴虎兄さんが煽られてるとちょっと笑っちゃってゴメン。カッコよければカッコいいほど脇の甘さを思い出してしまうのです…

あと、ちょいちょいライダー関係の引用が混ぜられていたりというのもおもしろかったです。パロディのようなはしゃぎっぷりは感じられず、ああ書き手は仮面ライダー好きなんだなあと伝わってきて、嬉しくなっちゃったよ。

全体としてすごく読みやすかったです。ちなみにこの「読みやすい」というのは、別に文章が簡易ということではないのですよ。視点が場面ごとに統一され、文章の流れが阻害されないように気を付けて配置されている。

ただ、バトル描写がちょっと難しかったなあ。なんせ技名がカタカナで、効果が大爆発だから、情景を浮かばせるのがうまくいかなくて。
これは他のノベライズ(仮面ライダーシリーズに限らず)の欠点よね。原作の持ち味を残そうとしたら、かえって小説という媒体にうまくはまらないことになってしまう。
よってわたしは技名を叫ぶよりは、技による効果や技の発動過程を書いて欲しいな。
だって、特に新しい変身の新しい技じゃ、映像を思い出すわけにもいかないからねえ。
あ、あと、ライトノベルで、技に漢字をふってルビで声に出したらキまるように設定しているの、やっぱり効果があるなーと思ったよ。漢字の視覚効果(まず単純にかっこいいのと、一読するだけで内容が伝わる)を使うのが文章媒体の必然だわね。

ヒーローが不在ということ/存在するということ

狗道供界の妄念を阻止する、というのが、この小説の骨子。しかしそれを行うのは、貴虎やミッチ、ザックといった、「沢芽市に残された」面々。主役の紘汰はほぼ不在です。

でも、このシリーズのほかの作品と違うところは、登場人物の誰一人としてヒーローの帰還を期待してはいないところ。

彼らは、ヒーローの不在を受け入れている。そのうえで、自分たちがヒーローの願いを継ごうと、あるいは自身がヒーローになろうと前を向き続ける。
その行為の結果として、奇跡としてのヒーローの再臨が行われるわけですが、しかしそれは結果でしかないわけです。

『鎧武』という話の根本はつねにこういうことで、つまり、一人一人がどう行動するか
「お前は力を手に入れた。さあ、どうする?」という話なんですね。

ヒーロー物の宿命として、物語はヒーロー登場のための時間稼ぎ、とう側面がどうしてもあります。
怪獣や怪人に対して人間が組織を作っていくら努力しても、どうしても勝てなくて、最後のピンチにヒーローが颯爽と現れて助けてくれるのを待つしかない。
近年ではやっぱり人間もがんばってるよね、ということで、組織が活躍する話も多いですが、それだってやっぱりヒーローと協力したりと、ヒーローの存在が前提になっている。
そういうの、わたしも不満なクチだったんですけど。なんかこー助けられるばっかりって寂しいじゃないですか。

けど、『フルスロットル』やこの小説版を読んでも、そんな寂しさは襲ってこないわけです。
というのは、ヒーローが現れて助けてくれることを、作中、誰も期待していないからです。
ヒーローが最終的に助けてくれるのは、ヒーローをかっこよく描写するためというよりは、そんな状況になるまで戦い続けた登場人物たちへの奇跡、ご褒美のようなものなんですよ、ここでは。

ヒーローがいると、つい頼ってしまう心ってどうしてもありますよね。『オーズ』ではその心根を「都合のいい神様」とまで表現していました。
わたしたちは、ヒーローという絶大な存在とどう向き合うべきなのか。ヒーローが助けてくれる!でいいのか。ヒーローに戦いを押し付けて、彼岸へと押し流してしまうので良いのか。
その答えの一つが、『フルスロットル』であり小説版なのかなと思います。

ヒーローの不在を受け入れること。そのことこそが、ヒーローという存在との付き合い方なのかもね。
うーん。やっぱり『鎧武』って、現代においてヒーローが存在するとしたらどういう形になり得るか、というお話だなあ。

すべてを破壊しすべてを繋げ

まあ、でもヒーローが再臨したらテンションあがるんですけど。

しかし、世界の境界線があいまいにされたことにより、各仮面ライダーの世界と接近するというアイディアは楽しいぞ!そうかー、武神の世界も取り込んだか―、良かった良かった!

ミッチの地獄めぐりの中にディケイド世界がなくて、「まあポジション的にこういうところには出てこないわな」と納得した後でまさかの本人通りすがりにはテンションあがった。やるなあ。そしてディケイドはマジで便利だ。素晴らしい発明だな!

閑話休題 塚田Pの描くヒーロー

ところで閑話休題になるんですけど、この地獄めぐりで。
『W』と『フォーゼ』の表現だけ、なんかよくわかんないなーと思いまして。
この二つはつまりまあ塚田Pの作品なんですけど。

敵が「地球の記憶を宿すもの」「宇宙のエナジーを享けたもの」って、でも、それどんな悪よというか。「殺戮を遊戯とするもの」だとすぐにこいつぁ邪悪だぜと伝わるけど。
でもってヒーロー自身も「二人で一人の」とか「多くの友と青春を生きる」っていうのもさ。他が悲壮感ある中で、なんかよくわかんないよなーって。

で、気づいたんですよ。そうか、塚田さんの作品って、言っちゃうと敵はそれほど重要じゃないんだ。
ヒーローをいかにカッコよく成り立たせるか、それが大事なんだと。

別にこれは批判ではないですよ。だって、ヒーローのカッコよさを一番見たい人はいっぱいいるんだから。
なにもヒーロー物は全部思想戦やらなくちゃならんというこたぁない。

弟子筋にあたる大森Pでさえ思想戦の割合が強いところを見ると、この塚田さんの信念は特徴的だなあ。
いや、なんか、こんなところでちょっとした気づきがあるとは。儲けました。

狗道供界とはなんだったのか(不満点)

で、話を戻しまして。
この小説、小説としてとてもおもしろかったのでダメ出しをしようと思います。なんじゃそれは。
いや、ここまで出来るならもっと要求しても大丈夫だろうということで!

というのは、言ってしまえば「黒の菩提樹編」とまとめられる一連の流れのキーマンである狗道供界のことなんですが。
ぶっちゃけ、特にキャラとして立ってないよね、というところが気になってます。

だって、”狗の道をゆく世界への供物*1”って、ポジションそれだけじゃかわいそうすぎやしないか。せっかくの鳥羽潤さんなんだし。
『鎧武』こういうところがね。ポジションを与えたらそこで終わらせちゃうの、ちょっとキャラクターに対して道具扱いすぎるよ、と。

あと、小説全体として、場面場面のカッコよさ、筋を追うことに専念しすぎていたのも、もっと出来るんじゃないかなーと思った。
それこそ、狗道の思想やバックボーンをミッチたちの信念にぶつけるようにしたりさ。
すいすいと読めて、それはいいんだけど、もっと歯ごたえがあっても良かったし、出来たんじゃないかなあと思ったのですよ。
ちょっと期待値高いかもだけど、たぶんこのチームさんならやれるでしょう。見たかったな。

『鎧武』サーガは終わったのか?

てなわけで「黒の菩提樹編」はこれにて幕引き。まあ、あまり引き延ばすことでもないので、良い塩梅かと。
サーガはこれで一段落かな?もっと見たいところではあるけど、一度終わった作品をあまり引き延ばすのも良くない気もするし…バランスが難しいね。
でも、また見られるんなら、迷わず見るよ!
おもしろかったです。

*1:「供界」は「世界に供えられる」と「世界を供える」の二つの解釈が出来ますが、わたしは前者をとっています