double standard

平成仮面ライダーへの思い入れを語ります。現在は更新停滞中。

小説 仮面ライダーディケイド 門矢士の世界〜レンズの中の箱庭〜

最初に言っておく!帯の紹介文は飾りだ!(ライダーが違いますよ)


著者:鐘弘亜樹,監修:井上敏樹
出版社:講談社 (2013/4/11)
ISBN-10:4063148548
ISBN-13:978-4063148602


読み応えがあったなあ。

これ、ひじょーに「当たり」でした。そもそも『DCD』はあれでアレ(笑)なんで、「これが本編じゃねえのか」という方も多くなるのではないでしょうか。いやもうホントに。
とはいえ、どうしても一点気になるところがありますし、そう簡単には片付けられないのですが。
そもそも、かなり中途の段階で分散してしまったのが『DCD』という作品でした。本来の、と呼べるほどの本筋があったのかなかったのかすら、よくわからない。
だから、『DCD』がたどとるはずだった、あるいはたどとれたかもしれない、そんな数多ある可能性の中の優れた一つ。わたしはそうこのノベライズを位置づけます。

それでは以下畳みます。


おもしろいぞ小説版『DCD』

これは仮面ライダーディケイドに変身できる門矢士という青年の物語です。

TV本編において、すべての仮面ライダーの世界を巡るに相応しい人格として士には尊大な態度と口調、本質を掴むのに長けた勘の良さと高い能力、しかしその一方で記憶喪失であるがゆえにバックボーンのない不安さ寄る辺なさを併せ持つ人物、と設定されていました。
その人物の掘り下げが進む前に物語はあのようになっていったわけですが、このノベライズでははっきりとあの態度を「ペルソナ」と設定しています。なるほどなー。
そしてTV本編では結局設定されなかった本来の世界が与えられ、その代わりに士は(ノベライズ版では)本来は厭世的な根拠のない虚無を抱えた青年と描かれます。
そんな青年が仮面ライダーの力を得、自分と同じ本質の敵と戦い、自身を獲得していく物語。まとめると、こんなところになりますか。

つーか、もう、『DCD』のノベライズなんてどーすんだろーあれがアレだしとか、まあどうせまた女を挟んでの(略)だろとかかなり無礼なことを思ってたんですが、もうマジすいませんでしたって謝ります。敏樹氏さっすがー。上記のようにまとめるとかなりすっきりするもんなあ。

ちゃんと他の世界を巡ります。これもどうするのかなーと思っていたので嬉しいぜ。電王の世界、クウガの世界、カブトの世界。うーむ確かに三つチョイスするならこの辺りだよなあ。
しかもリ・イマジネーションの世界ではなくオリジナル!またこれが本当にオリジナルの世界で、この辺はさすがほとんどのライダーに関わった敏樹氏の成せる業。っつーか『電王』は一話も書いてはいないんだけどな。さすがだな。

残念なお知らせなのは、それゆえ小野寺ユウスケはいないこと。ただ、海東が!海東出るの期待してなかったからすごい嬉しいぞ!
鳴滝もまた役割を与えられ、蟹レーザーとしての意味もある。夏海にも。
士、夏海、海東のやりとりとか、各世界におけるやりとりとか、すごい良かった。あと海東が良かった(ファン)。なによりこの厭世的な士の目線が。良かった。

さてさんざん敏樹氏すげーと言ってきましたが。とはいえこのノベライズ版『DCD』をここまでちゃんと小説にし、『DCD』の可能性の一つとして優れたものにしたのは、実際の著者である鐘弘亜樹さんの功績が大だと思われます。
以下その辺をもうちょっと詳しく↓



著者「鐘弘亜樹」

変わった名前ですよね、「鐘弘亜樹」。というよりなによりプロフィールのあるはずの奥付が白紙だよ!だれかライターの変名なのかな?
さすがに名のある小説家ではないとは思いますが、小説に近い仕事をしている方だと思います。なぜなら今まで出たシリーズの中で飛びぬけて「小説をやっている」からです、この『DCD』のノベライズが。

わたしはしごくフラットに物事を楽しもうというのがモットーでありまして、いろいろどうという気もないのですが、このノベライズシリーズ、やっぱり脚本家の人が書くからか小説というより脚本に近い感じがあるんですよね。
どう違うのかって言うと、まず構成・配置ありきで場面だけで物語が進行していくところ。
小説だってそうじゃないかという方、まあそうなんですが、小説はなによりもまず文章があります。文章が構成・配置を背負って流れていくのです。
この文章が『DCD』ノベライズにははっきりとあるのです。

とはいえ最初はこの小説感の高さ、著者の鐘弘さんの功績なのかそれともプロットの段階で敏樹氏がいい仕事したのか悩んだのですが、細かく読むと、やっぱり鐘弘さんの仕事だとわたしは判断しました。構成・人物配置はやっぱり敏樹氏の癖やテンポが見えるんで。たぶんですけど『キバ』や『アギト』の人もしくは御大本人が担当していたら正直な話もっと大味になっていたでしょうね。たとえば夏海や海東に関してもうちょっとくどくどしく述べられたり。

あと台詞はどこまでが監修の敏樹氏の筆でどこからが著者の裁量なのかなあ。ちょっと気になる。なんか手触りが違うんですよねえ、ほかの敏樹氏監修のと。
もしかしたら打ち合わせくらいはしたのかもしれないですが、さすがにそこまでは読者にはわからんしな。

なにより読み応えがありますよねーこのノベライズ。
まず、本来の世界である士の世界と巡る他の世界と構造が二重になっていること。それから、巡る世界が独立しているため実質話が三つあること。これはプロットの勝利ですが、巡る世界の描写などがアイコンタクト的に省略されている(もうみんな知ってるよね的な)ため読者が勝手に読み取る情報量が増加していること、士の心の軌跡一本に添っていて分散せず描写に集中力があること。これは実際の著者の勝利です。

鐘弘さんのお仕事のおかげで敏樹氏成分過多すぎるぜ!というちょっと冷めかけていた気持ちが盛り上がりました。やっぱり最終的に手を入れる人で変わるんだよなー、なんでもそうだけども。



乱れる「クウガの世界」

などと鐘弘さんをベタ誉めしたいところですが、やっぱり気になるところはあるわけで。
クウガの世界」の章です。ていうか、ほかの章はすごい大丈夫なんで、この章の乱れが目だって気になっちゃうんですよね。あと、物語の流れ的に重要な部分だし。

気になるところっていうのは、ここだけ丁寧さが欠けている…というか、混乱が見られるところです。まずひとつに登場人物の認識がブレています
夏海はユリに警戒感を抱き、グロンギではないかとにらみますが、中盤にいたるまで確証はありません。なのに、かなり早い段階でグロンギと認識しています。これがもし夏海の不安からそうさせるのであればそのように描かねばならないのに、そうではなくあらかじめ解答を与えられた登場人物として動かされてしまっています。
士も、最終的にユリと自分は似ていると認めるのですが、実際のところユリの内面はずっと士には伝わっていないのです。それなのに何段階か飛ばして士は理解しちゃっている。ここで士が理解してしまったのはこの話の構造です。それは著者と読者だけが知っていればいいことで、あるいは士が知ることになるのであればそのような描き方をしなければなりません。

このノベライズ全体で矛盾はほかにも確かにあります。しかしそれらは瑣末なことで読み飛ばしてかまいません。ただこの「クウガの世界」では気になってしまうのは、話を構成する重要な部分での矛盾だからです。士がはっきりとゆさぶられ、葛藤し、ついに現実と向き合う章なのですから。

もうひとつに、この章だけ、与えられたプロットを咀嚼しきれていない印象があります。神の目が見えちゃうんですよね。それまでずっとそれを隠して登場人物の目だけでものを見てきただけに、すごく惜しいなと思います。

でもなー。まあ確かにこの章難しいからなー。
ああ惜しい!
ちょっと陰がうすいしな、五代くんも。



百合の虚無

それにしてもこの「クウガの章」、なんだかVS大ショッカーの映画を思い出しますね。あのときも、士は死人であるタックルこと岬ユリ子を連れまわしていたのでした。あの映画は米村正二さんの脚本でこのノベライズはまったく別の人の手になるものですから、結局士というよりどころのない男はそういう虚無と惹かれあってしまうということなのかもしれません。
なお、ユリと岬ユリ子は名前が一致しちゃってますが、まあこれは偶然の一致でしょうな。



海東大樹という男

ていうか海東いいなー超いいなー。ムカつく感じとか煙草を吸ってるところとか台詞回しとかちゃんと海東だ!告白のシーンとか素晴らしい。あと「君の自己陶酔に僕を巻きこまないでくれたまえ。僕が君のナルシシズムを構成するもののひとつになったかと思うと吐き気がする」っていう台詞がもう!
ここ鐘弘さんの裁量なのかなあ。敏樹氏っぽくない気がするんだけど。もうとにかく良し!
海東についてはまた別に今度しゃべります(笑)



あくまで「数多ある可能性の一つ」として

そんなこんなでとても良いノベライズでした小説版『DCD』。門矢士という主人公の、ちゃんと物語でした。
なんですけど、冒頭にも述べたとおり、わたしはとはいえこのノベライズを正編にはできないなあと考えています。なぜなら、このお話は仮面ライダーのお話ではないからです。

というか、もっと言えば、すべての世界をめぐりすべての仮面ライダーに変身できる仮面ライダーディケイドの物語ではないのです。ここではせめて仮面ライダーという「力」を手にした青年の物語であって、仮面ライダーである意味が意匠程度に留められてしまっているのです。

そもそも『DCD』という作品、ひいては仮面ライダーディケイドとはかなり妙な立ち位置の存在であり、ちゃんと描こうとすると平成ライダー前期10年を全部入れなければならないわけです。
いやまあさすがにそれを求めるのは酷だからなあ。この作品はこの作品で、まったくもって良いのですが。読んでいる最中、「やっぱりこれは門矢士の物語だよな」としか感じれなかったのもまた事実。ただ、本編ではそれがむしろ脇にのけられてしまった感があるので、その補完としてはひじょうに大事な作品になると思われます。良かったね、士…ってなもんです。

本来的な意味で、本編における映画みたいな位置づけじゃないですかね、このノベライズ。

誰にでもなれる仮面ライダーとして、本来の姿を喪失した鳴滝と対比させてもおもしろかったなあと後から思うわけですが、まあこれはたんにわたしが対立構造が好きだってだけです。

いろいろ言っておりますが、ケチつけてるんではないですよ。っていうか、要求のハードル上げてもいいと思えるからここまで突っ込んだことを考えてしまうんだと思います。
ここまでのを読ませてもらえるとは思ってなかったな…すいません上から目線で。でも、良かったです。