double standard

平成仮面ライダーへの思い入れを語ります。現在は更新停滞中。

ひとつの到達点としての『仮面ライダーウィザード』 〜「真っ当」という特殊さ

※例によって長いです。(はじめに)と(まとめ)だけ読んでもらっても大丈夫だと思います。

「特別感」のない主人公――操真晴人(はじめに)

晴人、まともですよねー。歴代のアクの強さを思うとなんたる輝き。
でもだから始まってからずっと気になっていたんです。晴人ってとどのつまりなんで戦っているんだろうって。
晴人には特別感がないんです。

で、この第31話を見て確信した。晴人はふつうの人なんだ。ふつうの人がヒーローやってるのが『ウィザード』のヘンさなんだ。

誰か目の前で苦しんでいる人がいたら助けたいと思う。それって、人としてすごく真っ当な感情ですよね。わたしもあなたも、出来る出来ないは別として、そう思うじゃないですか。そうでしょう?
つまり晴人はそんなふつうな感情でヒーローをやってるんだ。ものすごく単純で、だからすんなり分からなかった。
それで、そういう人がヒーローなんかやるもんだから特別感が薄く描かれるようになっちゃったんだ


なんというか――一週回ってヘンなことになってますよ、これ。



「特別感」のないヒーロー番組――『仮面ライダーウィザード』

ヒーローとはすなわち異形の力なわけですが。それを人間が行使する番組をどう視聴者に納得させようかと言うところでさまざまな試みがあったわけです。

冷静に考えればヒーローなんかやる奴はバカか歪んでるかどっちかだと思ってます(爆)。
一歩間違えれば危険極まりない力なんか持っちゃって、それでわけのわからない怪人と戦って、命の危険をさらして。するわけないし、出来ないし。
それを敢えてどーしてもするっていうことは押し通さなきゃいけないエゴがあるってことで。これまでの平成ライダーの主人公たちには必然性というかモチベーションがありました。
なんていうかあいつら、アイデンティティーに仮面ライダーであることが癒着しちゃってて、「仮面ライダー or Dead」いやむしろ「Dead or Dead」みたいな運命の歩み方してましたもの。どう転んでも死、しかし選ばなければ魂が滅ぶ、みたいな。
あるいは後先がわからないくらい純粋=バカ。じゃないとあんな見返りがない上に辛いだけのことしないよ!

だから他のヒーロー番組では冷静には考えないようにして、つまり正義感というやつを拡大解釈・デフォルメして主人公に戦いをさせていたわけです。
平成ライダーというものの目新しさは、ひとつにここのところをデフォルメするのではなく掘り下げる方向性に持って行ったところにあります。
戦う理由を与えたこと。もしくは、戦えてしまう人間であるといちいち丁寧に描いたこと。
けれど晴人はどちらも描かれていないし、かといってデフォルメもされていないのです。


『ウィザード』には魔法使い(=仮面ライダー=ヒーロー)になれる条件というものがあらかじめ提示されています。これはものすごいアイディアだと思っています。
絶望しなければ魔法使いになれて、万が一絶望しちゃってもウィザードが助けてくれる。ヒーローになれる可能性と、なれなくても救済される希望が残されている。これはテレビの前のちびっ子には嬉しいことだと思います。
でもこれって、作中のヒーローが特別な存在じゃないってことでもあるんですよね。あなたも、わたしも、なれるかもしれない。
他のライダーだってそうじゃないかと言いたい所ですが、あれらはまず力が与えられて、そこから正義か悪かを選べと迫られる物語です。『ウィザード』はそうじゃない。そういうふるい落としはないのです。
よってまず、ウィザードという仮面ライダーそのものに特別感が薄い、という前提があります。そうなると、変身する中のキャラを盛る方向に行きそうなものなんですが、それをしていないんですね、『ウィザード』では。
だいたい晴人には戦う必然性が薄いんですよ。

絶望しないでファントムにならなかったから、ファントムに対抗できる力を得たのが自分くらいしかいないから。サバトを経験して、「もうあんなことはさせない」というのがモチベーションでは確かにあります。ありますが、それは消極的な理由ではないですが、積極的な理由でもありません。
やれることだからやる。という姿勢そのものは目新しいわけでもありません。歴代の主人公――特に五代くんや良太郎なんかもそうでしたからね。むしろ正義やなにかのお題目ではなく、そんな等身大の理由で戦うのがまさしく平成のヒーローなわけなのですが。
でも、彼らはまず最初に追い詰められます。追い詰められて、それでもやると宣言する。だから彼らはヒーローであるとわたしたちは確信するわけです。こんな状況でもそれを決断するなんて、と彼我の差を思い知るわけです。そこに特別感が生まれます。
ところが晴人はなんか違う。追い詰められてギリギリの選択をする前に、すでにお前は仮面ライダーだと告げられている。それを承諾したのは晴人の意思ですが、生きようとしたときに、あれ以外の選択肢はあったでしょうか?


仁藤が出たとき、晴人をここでゆさぶるのかなーとも思ったんです。自分しか戦えないと思っていたところに、もう一人魔法使いが出てきたってことで。
結局、仁藤にはまず自分の事情を優先して戦わなければならないという設定が与えられており、晴人のレーゾンデートルには触れてくることはないことが判明したのですが。
これはつまりこの物語ではそういうことはしないってことで、『ウィザード』においてはどうやら主人公を試すようなことはしないらしいとここでわたしは判断しました。となると、ヒーローは看板だけであとはかっこいい大活躍だけを見せる番組なのか?そんな無難なお話作りに落ち着いたのか?平成ライダーは。
しかし――それにしては、晴人の戦いを遂行する上での感情や葛藤が作中で描かれるんですよね。しかもそれが表面的ではない、ちゃんと掘り下げている描写なんですよ。


思い返せば晴人には超人的ななにかを見せる話がないんです。魔法は使えます。でも、それこそ友だちかばって刺されるようなことはない。
むしろ晴人はゲートに心を傷つける真実を告げないと決心しながらそれでちょっと落ち込むし、たまにどうしたらいいかわからなくなって煮詰まるし、弱音は意図せず漏らすし、まったくもって強いハートなんてもんじゃありません。インフィニティになる回だって、すべてを跳ねつけて得た力というよりは、周囲の支えに応えようとして純粋であろうあろうとする努力の結果に見えます。
そう、『ウィザード』の物語には無理や無茶がないんです。


……いやちょっと待って、これヘンなことになってるよ。
だってデフォルメも特別な理由もなしにヒーロー番組を成立させているんですよ?
もうさ――それ、ふつうのドラマじゃん!



『ウィザード』、真っ当という特殊さ(まとめ)

『ウィザード』という番組は、どうやらものすごくバランス感覚に気を遣っているな、とわたしは思って見ています。
致命的な葛藤には足を踏み入れないようにしている。たとえば、仁藤がただのにぎやかしの共闘キャラであることや、グレムリン=滝川空の設定などにそれは見えます。これは思考停止や逃げということではなく、制作側が「それはやらない」という方針であるということだと思います。無駄に話をややこしくしない、敵と味方を峻別する。そう、『ウィザード』という番組はシンプルを目指しているようなところがあります。

シンプルに子ども番組を目指している。なのに、人物設定や心理描写をデフォルメで処理をしないという従来の平成ライダーの描き方は踏襲している。

そうなると何がいま起こっているのか。
特殊性を持たないヒーロー番組、という一週回ってヘンなものが出来てしまっているのです。


平成ライダー以前…人としての真っ当さだけではヒーローにならないとしてデフォルメしていた
平成ライダー…デフォルメでは現実感がないとして理由と描写を導入した
『ウィザード』…デフォルメも理由も排して、描写だけで人としての真っ当さだけでのヒーローを成立させた


なんというかこれ、ひとつのヒーロー物の到達点なんじゃなかろうか。そんでもって、なんか新たな可能性がここにある、そんな気がする。意図して出来たものでは例によってないんだろうから、どうなるかわかんないけども、でも。
いつまでもアクの強いヒーローばかり生み出してはいられない。だからといってヒーローという看板に頼ったヒーローにはもう今さら戻れない。
平成ライダー二期にただよっていた「この先どうするのさ」という不穏な空気。『ウィザード』はそれをみんなが思っていたのとはまったく違う方向から吹き飛ばせるかもしれない。



……平成ライダーの持っているポテンシャルって、思っていたよりももっとすごいのかもしれないぞ、おい。