double standard

平成仮面ライダーへの思い入れを語ります。現在は更新停滞中。

小説 仮面ライダークウガ

13年の時を経て、『仮面ライダークウガ』復活!
裏のあらすじがビミョーに内容と違うのは、たぶんこれを書く段階で情報が企画書止まりだったからだ!


著者:荒川稔久
出版社:講談社 (2013/6/28)
ISBN-10:4063148513
ISBN-13:978-4063148510

というわけで『クウガ』です。平成ライダーの始まりにして、そのあまりの鮮烈さに思い入れの強いファンも多いのではないでしょうか。
これまでそれぞれの作品を捉えるのに言葉を見つけてきました、「番外編」とか「続編」とか。で、このノベライズはどうしようかと考えまして、荒川稔久(『仮面ライダークウガ』メインライター)渾身の一作!になりました、わたしの中で。たぶん「後日談」なんだろうけど、どうもわたしはしっくりこない。なんというか、書き手の思い入れを強く感じるんですよ。


あらすじ…
あれから13年……クウガとなって戦った五代雄介が、失った笑顔を取り戻すために旅立ち、音沙汰がないまま13年の時が経った。世界は一応の平和を取り戻し、一条薫をはじめとする関係者はみな喪失と後悔を抱いて時を過ごしていた。
ある日あの倒したはずのグロンギの仕業と思われる犯罪が発生。一条たちは調査に乗り出すが、その彼らのの前に「白い戦士」の影がちらつきはじめる。
「白い戦士」は五代なのか?そうであるならなぜ白いままなのか?そしてなぜ姿を見せてはくれないのか?
五代雄介不在のまま話は進み、しかし事態はさらなる暗闇へと。
13年前とは比較にならない規模で殺人をもくろむグロンギたち。倒せるのか?そして五代雄介は姿を見せてくれるのか?一条たちの祈りは届くのか――?

語り手は一条さん。かつての関係者たちは一通り登場するし、ゲゲルのルールを突き止めていくくだりとか、やたら細かい場面描写とか、とっても『クウガ』。
五代くんが不在なのでクウガ大活躍を求めていた人は肩透かしかもしれません。でもまあ考えてみれば本編も、謎解きからの五代くん出陣なのでこれもそうだといえばそうだ。一条さんとか関係者のみんなが頭と力を合わせてグロンギを追い詰めて行く、そういう過程が丁寧で大事に描かれていたのが『クウガ』でしたものね。

モノとして、さすがに穴もなく堅牢で、完成度はトップクラスの高さ。その隙のなさがまた『クウガ』って感じがします。読み応えは充分。そういう意味で期待は裏切られていないのではないでしょうか。


…なんですけど。

いやここで終わっていいんです。モノとしての穴はありません、本当に。
なんですが、どうしてもわたしは一言(じゃないけど)言いたい(笑)。というわけで満足された方、また『クウガ』ファンの方、これからの語りには『クウガ』に対する批判が含まれます。その辺ご承知の上、お読みになるかブラウザバックされるかの判断をお願いします。
では以下!




もうねえ、読んでる最中ずっと思ってたんですよ。なんで君らそんな傷つくのさ?そしてなんでそんなに謝るのさ??
いや分かるんですけどね。そういうやさしー繊細な人たちだってことは。それでも。


ごめんね五代くん

このお話、結局なにかって言ったら謝罪の話ですよね。五代くんに謝る話。
罪を背負わせて、悲しませてごめんね、戦ってもらってごめんね――確かに『クウガ』はそういう話でした。荒川さんをはじめとするファンの人たちは、たぶんきっとずっとその気持ちが続いていたんじゃないかなってこれを読んで思いました。

振り返ってみると『クウガ』って終わってないお話なんですよね。それは続編がかなわなかったり映画化が立ち消えたりしたのとはまた別なところで。
終わってないといったら『龍騎』や『555』もありますが、でもあれやることは全部やってんですよね。物語として一応ちゃんと終わってるんですよ。っつーのは戦いはどこか宙ぶらりんではあるけれど登場人物の気持ちは解決されているから。『クウガ』は逆。登場人物の気持ちが解決されてない。五代くんは傷ついたままだから。

そういう話はふつうに多くあります。でもそこにはナルシシズムニヒリズムがあって、登場人物がやるせないのが味になる。五代くんにはそれはない。それはたぶん、本来的には聖人として彼岸の彼方へ飛び去ってもらうはずの五代くんに血が通ってしまったからなんでしょう。『クウガ』という物語は人が英雄となるということはどういうことか、露呈させてしまった問題作ともいえるかもしれません。このノベライズはそのことに対する13年越しのアンサー……とも位置づけられるかもしれません。
で、そのアンサーとしてみんなずっと謝りたかったんだ、五代くんに。一条さん≒荒川さん≒ファンってことで、荒川さんはなにかそういう気持ちの代表のような気がする。荒川さんはたぶんメインライターの前に『クウガ』の、五代くんのファンなんだ。

でもさ。いつまでもごめんね、ごめんねって思い続けて、謝るだけの話なんて嫌だよ!

グロンギによる殺人に代表されるような突然の傷。その傷を見過ごしたくないというやさしい思い入れが『クウガ』の良いところですし味であるのは分かっています。そしてその傷はそんなにたやすく癒えないんだということも。
だけどさ、傷を抱いても進み続けて欲しいよ。前を向いて欲しい。登場人物たちをぽっかり空いた穴の方が大きいままにどうしてしておけるのさ?
それはわたしって奴が無神経で粗雑だからだろうけれどもさ。


傷ついた翼が広がらない

五代くんも五代くんだよ。13年だよ。時間の長さではないと思うけど、どんだけだよ。いやそれほどつらい思いをした・させたのは分かっているよ。でも、言わせてもらえば「洗い流す」ってなんだ。「聖なる泉がふたたび満ちる」ってなんだ。それはつまりあの暴力の記憶を五代くんがすっかり忘れるってことじゃないのか。そんなこと出来やしないよ。
だって人の中で五代くんは生きることを選んでいるんだから。どこに行っても大なり小なり暴力はある。五代くんが参加しなくても、目撃はする。そのときに何か思えば、それはあの戦いの記憶につながる。それをしなくなるってことは、暴力に対して無反応になるのと一緒のことじゃないのかい?それでいいのかい?

ヒーローは全部背負ってくれる・背負わされる。ヒーローがみんなの涙をぬぐってくれる。でもそれじゃあ誰がヒーローの涙を救ってくれるの?
という問いに対して、『龍騎』と『555』を通してもう答えは出ているじゃないか。これは『クウガ』との比較とかそういう風に捉えては欲しくないんだけど、いい例がないから使う。
あの二作でとことんまで突き詰めて、それで結局見つかったのは、つまるところ自分で引き受けるしかないってことだ。我が身我がこととして引き受けていくしかないんだよ。だからこそそこで覚悟も生まれるし、浮かぶ瀬もあるようになるんじゃないか。
『ウィザード』も主人公がたいがいふつうだけど、こっちもかなりのもんですよ。

一条さんは言う。五代くんは犠牲精神なんてなかった、ただの優しい青年が優しい気持ちを通しただけだって。
ナルシシズムがなくて暴力の最前線に立つっていうのはそりゃキツいよ。でも、それで傷ついて姿を消されたら残されたわたしらはどうしたらいいんだ。あんなにも五代くんに優しい世界で、それでもダメって言われちゃさ。
五代くんをキレイにキレイに保とうとするからただうすぼんやりとした罪の意識だけが周囲の人間に広がっていく。「中途半端はしません」っていうのは、覚悟完了も含めてではないのかい。
ヒーローをただの人間として描く、ってのはいいけどさ。でもやっぱりヒーローなんだからさ。
謝るだけの話なんて、勇気がもらえないよ!


…なんでわたしはこんなに『クウガ』にムキになってるんだ(笑)。かなり不思議だ、思い入れはわりとない方なのに。
作品の質はいいから真っ向怒ってしまうのかもしれないなあ。
つうか、『ゴーカイジャー』はあんなにみんな自立していたのになんで『クウガ』はこんななんだい荒川さん。高寺さんのせいなのか?っていうかこの話には高寺さんは関っているのだろうか。まあわからなくていいけど。


世界は二人のために

さて、そういうメタな視点での解釈はおいといて、じゃあこの小説はいったいなんなんだという話ですよ。
いいよ、わかってるよ『クウガ』の世界はこういうもんなんだよなと了解したうえで、この話をどう捉えればいいのかってことなんですけど。なんかこう、すわりが悪いんですよね。全体に五代くんのことしか話してないから。暴力の行使における葛藤とか、理想と現実とか、そういう大枠になるはずの題材も全部五代くんを語るためだけに使われている。
で、じゃあ一般の人々がヒーローの力に頼らないで事件を解決する話――ヒーローを救う話――かというとそうでもないんですよ。そんな力強さは感じないから。

ていうかそもそも語り手の一条さんがなんなんだって話ですよ。なんでそんなに責任を背負いたがるんだ?
というところまで考えてわかりました。

これはあれだよ、一条さんが五代くんに思いの丈を伝えるまでの話だよ。13年前言えなかったことを五代くんに伝える話。
そんでもって伝えたかったのは――「俺はお前が好き」。
ああそうかいそういうことかい!って思いついたらすげえスッキリしたんでもうこれでいいやわたしの中で(なげやり)。じゃあしょうがねえや!この話がこんなになるのもしょうがねえ、13年も抱えていたんだからな。世界は二人のために!
いや「好き」のレベルはいっぱいあるからね?でもとにかくお互いしか見えていないのは分かった。入りこめやしねえ、読者が。

一条さんここにきて完全にヒロインになった。
わー、桜子さんと実加ちゃんかわいそうだなーもー。

てゆーか本編から思ってたけど『クウガ』って女性陣の扱いわりとひどいぜ。男性キャラクターを引き立てるためにしか存在させられてないもん。
でもってこの小説はもっとひどいぜ。桜子さんが姓を変えないまま五代くんの帰りを待ち続けてるってそりゃないぜ。いやそれが一途とか前向きならいいんだよ。そうじゃないじゃん。五代くんを待つ横で研究してるって感じ。逆ならいいんだよ。そんでもって五代くんへのメッセージは一条さんを介して…っておぉい!
笹山さんもさー。完全片思いの相手を吹っ切るのに13年かけさせるってひどくねえかい?いやこれが本当に一途っていう描写ならいいんだよ。そうじゃないじゃん。一条さんに惚れている女の子って図式しかないじゃん。13年て。
そんでもって実加ちゃんだよ!この話において一条さんを傷つけるためだけにしか存在させられてないよ!しかもだよ。なんだよ一条さん、「俺があの時抱きしめてやっていれば…」って。そこじゃねえよ謝るのは。謝るのは恋心に向かい合わなかったことだよ!っていうか一条さんは全部自分がなんかやれてたらって言いますけど、それは相手に失礼ってもんですぜ?

もうさー『クウガ』は登場人物がみんな互いが互いを思いやりすぎてみんな平等にうっすら傷ついててイヤんなるぜ。粗雑で無神経な感想で申し訳ないが。

惚れ甲斐のない相手に惚れるとかわいそうだなー。
しかもヒロインの立場すらなくされるとか、ひどいぜ。(この話で解決したのは一条さんと五代くんの気持ちだけ。しかも二人の間で完結してやがる。世界は二人のために!←3回目)


あ、あとなんか社会批判みたいなことちょろっとだけ入れてるけど、本当にちょろっとすぎて入れない方が良かったんではなかろうかと思いました。あんな台詞だけで出されても。



ああなんでわたしはこんなにムキになってるんだ本当に。作品の完成度としては文句ないんですよう。ただそれゆえにか言いたいことがつのるんですよ。まあそれだけしっかりした作品ってことかもしれません。
お話としては、メタレベルでいうと謝罪の話。そうでなくていうと、一条さんの想いの話。まあみんなこれでやっと気持ちが済んだんじゃないでしょうか。そういう意味では、必要な話だったのかもしれませんね。
でもこれ、物語としては終わってないような気がするんですが…あと一編くらい必要だよね、完全にすっきりするためには…

表紙の色が黒なのがなんか残念。黒いクウガは悲しいからな…きれいな空色が良かったな。