double standard

平成仮面ライダーへの思い入れを語ります。現在は更新停滞中。

寄稿「仮面ライダー『鎧武』に見る格差社会」

2/4付の『鎧武』第16話簡易感想にて。

というわけで、「仮面ライダー『鎧武』に見る格差社会」の論考、誰かやってくれていいですよ(笑)。わたしは面倒だからやりません!

なんて適当なことを書いたらまさかのレスポンスをいただきました。いや、別に寄稿受け付けてるわけじゃないんですよこのブログ(言っておかないといけないような気がする)。うん、でも、わたしがいけない(笑)
しかしコメント欄に置いておくにはもったいない贈り物なので、寄稿という形で記事にさせていただきました。載せるにあたり、こちらで適宜改行させていただきました。ご了承ください。
ありがとうございました!


仮面ライダー『鎧武』に見る格差社会

寄稿者:翼角暴君竜合成獣 (2014/03/02)

仮面ライダー鎧武』に見る格差社会の論考です。ブログ持ってないんでここのコメント欄に書きます。チラ裏ですが。だが私は謝らない。何処かで「誰かやってくれていいんですよ(笑)」という声がするからいけないんや…。

※19話、「ユグドラシル編」時点での論考です。

■Got it, Move.

『鎧武』ではしばしば「大人と子供」という概念が登場する。劇中においては、換言すると「ユグドラシルコーポレーション(以下、ユグ社)」と「ビートライダーズ」の対立構造であり、19話時点では「敵勢力=ユグ社の関係者」、「主人公勢=ダンスチームの若者」という構図で物語が書かれている。
大人、ユグ社の新世代ライダー達の変身ツール、「ゲネシスドライバー」がエナジーロックシードを「搾り取る」ギミックなのに対し、子供、アーマードライダー達の変身道具、「戦極ドライバー」がロックシードを「切り開く」仕様になっているのが意味深。大人が支配層、「搾取する側」であり、子供が被支配層、「解放を求めて未来を切り拓こうとする側」であることが、変身ベルトから見て取れるのが面白い。
『ウィザード』最終回でも出て来たが、「人類の自由と平和を守るために戦う」のが仮面ライダーだとするならば、「自由を手に入れるために戦う」というのはシリーズのテーマにも合っている。

■現代はさながら戦国

『鎧武』8話と12話で、駆紋戒斗と高司舞がユグ社から大切なものを「奪われた」側だということが判明する。戒斗は父親の工場を潰され、舞の神社は取り壊され、御神木は切り取られた。
現実世界で考えると、例えば大型家電量販店が地方に出店したことで、地元で個人営業していた電気屋が駆逐される、といった事例が当てはまるだろう。奪われたことで、戒斗は「力」を、舞は「居場所」を求めるようになった。上述の電気屋の例で言えば、戒斗は家電量販店グループをぶっ潰そうとしているし、舞は経営は厳しくなってきたけど地域の人同士で協力、助け合っていこうよと訴えかけているというスタンス、というわけである。
現実的に考えれば、舞の考え方は妥協というか、折り合いが付いている。戒斗の場合、ユグ社に恨みを持ち、反逆しようとしているが、力が無いのでどう立ち向かえばよいのかがわからない。だからダンスチームのリーダーになって、猿山の大将、井の中の蛙状態で燻っている。誰もがみんな半沢直樹になれるわけではない。

■勝たなきゃすぐに崖っぷち

現代日本ドロップアウトすると社会復帰するのが忽ち難しくなる国である。誰でも教育の機会自体は均等に与えられているが、一度不登校、引きこもりになったり、退学してしまうと、遅れを取り戻すのが難しくなってしまう。正社員になれず、派遣やフリーター、ニートになってしまうと、そのうち社会から阻害されてしまう。
「ビートライダーズ」はダンスチームと謳っているが、その内実はドロップアウトしてしまった若者の集まりなのではないか。チーム鎧武は学生の集団というイメージがあるが、バロンやレッドホットの連中を見てるとそう思える。虚淵玄の初期構想だと、不良やチーマー、カラーギャングの縄張り争いだったようだし、本質はそうなのだろう。社会のレールから外れると生きづらくなってしまうというのは、劇中でしばしば描かれる。フリーターである葛葉紘汰は履歴書を書いては面接を落とされを繰り返しているし、定職に就かない戒斗はユグ社に対抗する術を持てない。

■サバイバル You got to move.

そういう状況で、「大人は狡い!汚い!」と吠えているだけでは餓鬼のままである。大人社会で戦うためには、子供から大人になるしかない。『鎧武』のメインキャラクター、葛葉紘汰、駆紋戒斗、呉島光実は、それぞれ「変身すること」、「力を得ること」、「運命を自分で選ぶこと」を望み、戦極ドライバーを得たことでそれらを実現できたと思っている。
しかし実際はどうか。紘汰は浮かれるし、調子に乗るし、力を見せびらかすし、命の危機に瀕したら引き篭るし、言動がダブルスタンダードな時があるし、戦いを続けるか否か悩むしで、全く大人に変身できてない。戒斗は、黒影&グリドンに不意打ちされ、ブラーボに情けをかけられ、斬月にやられ、斬月・真にもやられ、変身前のマリカにすら足蹴にされ、全く力を得ていない。光実は、呉島の血を疎ましく思いつつも、家柄を盾にシドを恫喝するし、兄は欺くし、保身のために利用できるものは利用し、自分に不利になるものは容赦なく切り捨てるし、慕っていたはずの先輩に高圧的な態度を取るしで、図らずも兄貴虎が望むような呉島の人間になりつつあり、運命から逃れられていない。
どいつもこいつも、全く大人になんかなれていないのである。虚淵玄は「成長物語」「戦いのステージを変えていく」と公言しているので、彼らの成長は今後のシナリオに期待する。

■戦いはNever end

ここまで「大人と子供」というキーワードで論を進めてきたが、『鎧武』はその対立構造のみで終わらない。外側からの脅威、「ヘルヘイムの森」が存在する。先述の電気屋の例でいくと、外国のインターネットによる通信販売企業が台頭し、個人営業店だけではなく大型家電量販店も客を取られてしまった、といったところか。国際化、グローバル化が進む中、諸外国に対抗するためには支配層と被支配層が格差を乗り越え手を組まなければ立ち向かえないであろう。『鎧武』の後半では、「ユグ社」と「ビートライダース」が共闘する流れが予想される(注:20話、ヘルヘイム編からはそういう展開になった)。
主題歌、『JUST LIVE MORE』の歌詞に、「真っ赤に燃えている?熱く熱くBurnin'sun」というフレーズがあるが、「今を生きろ、日本人!」というのが、虚淵玄、武部直美、田崎竜太が『鎧武』に込めているテーマなのかもしれない。

■お前だけに聞いてるんだ。壊すのか守るのか。

最後に一つ。主人公の氏名「葛葉紘汰」。苗字の「葛葉(かずらば)」はおそらく『葛葉(くずのは)伝説』が由来だろうが、名前に使われている漢字が興味深い。「紘」は宇宙を支える綱、大地の果てという意味で、その文字を含む「八紘一宇」という四字熟語は「人類みな家族」という意味である。一方、「汰」は淘汰という言葉があるように、不要なものを流し去るという意味だ。
ポジとネガ、正反対の意味をもつ漢字が使われている点が、「力をどう使うかで、人はヒーローにも怪人にもなってしまう」という仮面ライダーの真髄とマッチしていて面白い。『OOO』のように人々が手を取り合って前に進むことになるのか、『555』のように守ることと戦うことのジレンマに悩むことになるのか、『鎧武』の今後の展開に期待する。
[了]